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コラム

《Dr.もん次朗10》「ミランの手」遠藤友則(小松孝著)紹介②

2026/03/23

書籍:“ミランの手、遠藤友則(小松孝 著)“より抜粋

(P222~:一部改変)ミランの手より抜粋を紹介します。
※本投稿の著書の引用・抜粋は、著者小松孝様のご厚意により許可を得て掲載させて頂いております。

(1)理想のフィジカル

遠藤が世界のスーパースターたちと働き続けてこられた理由は、いくつもあるだろう。
まずは自己への挑戦。これがなければ、なんびとたりとも新たな道は切り開けない。今でこそ、選手を中心に海外挑戦が当たり前の日本サッカー界になってきたが、遠藤がイタリアに渡った1999年までに海外経験をした選手と言えば、奥寺康彦や風間八宏、三浦知良、中田英寿など、ごく少数であり、トレーナーとしては、遠藤友則だけ。スタッフともなれば、ほとんどいなかったような時代である。
その挑戦という土に、生来の負けん気の強さが栄養たっぷりの水として注ぎこまれ、その土の奥深くに”長崎理論”と東洋医学がしっかりと根を張って、そこへ努力という名の太陽が燦々と降り注いだ結果、ぶっ太い幹となった遠藤は、イタリアの地で天地高く伸びて行ったのである。
長崎(清水エスパルス・チームドクター)は、そのことに対して「理論と呼ばれるほどのものではありませんが」と謙虚な姿勢を崩さないが、遠藤の長崎を見る目は、常に尊敬の念に満ち溢れている。
「サッカー界では、フィジカルというと、一般的には筋肉から論じられることが多いのですが、循環器を専門とする長崎(Dr.もん次朗)がフィジカルを論じる場合には、“呼吸代謝をもとにした身体全体から論が始まるのです”。このことを、もっと分かりやすくいうと、「身体の隅々まで栄養を運んでくれる心肺循環器系と骨格筋をベースにフィジカルの考え方が組み立てられているのです」。だから遠藤が長崎の話を最初に聞いたときには、まさに「目から鱗の連続でした」と当時の様子を振り返る。

(2)

2010年W杯南アフリカ大会に臨んだ日本代表の監督に岡田武史が、病に倒れたイビチャ・オシムの後任として就任すると、かねてから岡田の構想にあった大木武をコーチとして招聴した。

岡田と大木の出会いもまた印象的なものだった。
ヴァンフォーレ甲府の指揮官に大木武が二度目に就任した2005年、その見事な手腕によって甲府をJ1に昇格させた。そして迎えた翌シーズンの2006年4月23日、岡田が率いる横浜Fマリノスをホームで迎撃した甲府は、1ー0と番狂わせとも思わせる勝利を手にしたのである。するとその試合で、「(甲府のイレブンが)なぜ、あんなにも体力が続くのか」と、走り負けしない大木武のサッカーに目を見張った岡田が、その後も大木のサッカーに興味を寄せていたことにより、大木の代表コーチ就任が決まったというわけである。

“大木武“が目指すサッカーは、観客を楽しませる、パスサッカーで勝つことである。そのためには、狭いスペースで小刻みにパスをつなぎながら、相手を圧倒する走力で試合を支配していかなければならない。そしてその”走り負けしない”サッカーをフィジカル面で支えていたのが、ほかならぬ長崎だったのである。そのため長崎にも白羽の矢が立ち、大木の代表コーチが決まったことによって長崎も日本代表のフィジカルアドバイザーに就任し、2人はW杯南アフリカ大会で日本代表のべスト16という大躍進に大きく貢献することになったのだ。

((写真:ワールドカップから帰国後、当院へ来院した時のもの、中央:岡田氏、向かって左端:大木武、サイン入りの代表ユニホームを持つ:当院マネージャー))

※本投稿の著書の引用・抜粋は、著者小松孝様のご厚意により許可を得て掲載させて頂いております。

≪つづく≫

Dr.もん次朗#10(3.23)

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